S's case

日々の暮らし、夫との戦いの記録

彼岸花、と娘の記録。

秋、というか、この時期の花。






彼岸花が綺麗に咲いていた。



娘が見たことがない、というので

学校の帰り、近くまで見に行った。

(近くまで見に行くとか、そんな大袈裟な、て感じ💦でも、見たことないって言うので😆💦)



娘は引っ越してから、環境の激変についていけず、私の体調も悪く心配で離れられなかったこともあってか、突然学校に行けなくなってしまった。3日間は機嫌よく通っていたが、ある日突然。



何日かは、別室で私と一緒にドリルやワークをやったり過ごしていたが、それも行けなくなり、朝も全く起きなくなった。

10時、11時までひたすら眠る娘。起こしても起こしてもピクリとも起きない。

でも、ある時期から担任の先生が放課後授業をして下さることになり、毎日夕方学校に通った。

娘にとって(体調がすぐれない私にとっても)、夕方行くだけでも大変な事だった。出された宿題も毎日出来なくて、たまっていった。



担任の先生は大柄で背が高く声が低い男性。

娘には苦手なタイプ。

まずは担任の先生になれること。

宿題を少しでも出すこと。

(誰もいない)教室に慣れること。

1時間、授業を受けること。

とにかく毎日通った。


行けない日は娘の代わりに宿題を持っていった。校長先生も理解のある方で、それだけで出席にしてくださっていた(本当にありがたい😭)

一学期の後半はテストが沢山溜まってしまって、できるだけ家でもやった。

国語、算数だけでなく、理科も社会も。

成績をつけて貰えるように頑張ろう、と励まして少しずつ進めていった。

お陰様で、テストを出した教科はなんとか成績がついた。

あ、図工も家で工作をしました💦

体育や道徳、音楽などは斜線の成績。

でも、他はなんとか成績がついた。

「夕方勉強しにおいで、と言って、今まで来た生徒さんはいないよ。○○さんはえらいね」と褒めていただいた。



やったー、やっと終わった!と思ったところへ、夏休みの宿題と、一学期に出来なかった計算ドリルと漢字ドリルが待っていた。

漢字ドリルはノートだけでも60ページ以上あった。1日1ページでは全然間に合わない😭

その時の娘には1ページでもかなりのハードル。

ドリルやノートに付箋で日付を貼って、とにかく毎日励ました。

夏休み中も先生が出勤される日は学校へ行って、宿題や授業をしてもらった。

(全然夏休み、て感じがしない💦)



二学期からは、1時間だけ、廊下から授業を

受けている。(昔の、廊下で立ってなさい!みたいになってる。なんで私まで💦😅)



今日は力尽きて、授業には行けず、

久しぶりの夕方登校。

でも、担任の先生から「毎日廊下で授業受けるとは思わなかった。ほかの先生も応援してる」とのありがたいお言葉。

二学期はまだ長い。




明日は学校、行けるかな。

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