境港から
久しぶりの友人?とランチ。
この方、過去には私が彼の顧客で(今もか)、
仕事の相談相手。
今は裁判のことなども相談する、兄のような、少しお友達?。
男らしく?オムライス大盛り!(写真奥)
私はナスとトマトモツァレラチーズのパスタ。
彼の鳥取へ引越しのこと、立ち上げている新事業のこと、裁判のこと、彼が離婚した時のことや会えないお子さんへの想いなど、話は多岐に。
「離婚が怖いのは誰でも通る道ですよ。結婚する前も本当にこの人でいいのだろうか、と迷った瞬間があるはず。
それでも、えいや、っとやってしまわないといけない。そんなもんですよ。」
とのご意見。
確かにそうだなぁ。
結婚前も、今でいいの?この人でいいの?て最後に自分に確認する瞬間あったっけ。
でも、私は押し流されるように結婚した。
「この間の審判で(相手側にとっては)厳し目に結果が出たので、ここから何を抗告しようが変わらないですよ。離婚までのカウントダウンは始まってるし、もう終わりに近づいてます。大丈夫。一気に片付きますよ。」
もうこの流れは止められない。
もう後戻りはできない。
西洋学的には運命・宿命?
仏教的観点からみると縁・因縁?
いつだって、私は流れに押し流されているように思う。自分で決めているはずなのに、そこには常に、ある種の流れと、何とも言い得られないどうしようもなさとがある。
決して悲観しているわけでも厭世的なく。
人生は自分の力で切り拓きたいと思って頑張ってきたはずなのに。
ところで、、、Aさんは少し可哀想な感じの女性が好きだと言っていて。
この間あるブロガーさんの記事で読んだ三四郎の「可哀想だた惚れたってことよ」を伝えるとものすごく共感していた。
わかります!と。
そして、独り身の寂しさと会えないお子さんへの思いを切々と語っていた。
山陰へ引っ越して忙しかったせいか、寂しさが募っているようだった。
「お互い配偶者には恵まれませんでしたね、今度は幸せになりたいものですね。」
いつもの言葉で締めくくる。
お土産も♡いつもありがとう。