S's case

日々の暮らし、夫との戦いの記録

お兄ちゃんがいなくなって

あの日は普通に朝お弁当を作って、いつもどおり見送った。


「お母さん、今日病院行く日だから。また帰り連絡してね。」

「うん」

「いってらっしゃい」


こんな会話だった気がする。



夕方、次男を習い事へ送って、その時、

赤い車をみた。

なんかゾワゾワした。おかしい。

不安が胸をいっぱいにしていく。

ドキドキが止まらない。




母から連絡があった。



「〇〇(長男の名前)がまだなんだけど。

何かあったんだろうか」



少しずつ不安が確信に変わる。

何かあったんだろうか、じゃない。

何かあったんだ。

でも、何?

認めたくなかった。

まさか。

そんなはずない。

あの子が私のことどれだけ心配してたか。

これからどうなるんだろう。

私はどうしたらいいんだろう。

心がゾワゾワして、ドキドキが止まらない。



次男を迎えに行ったら、

「お兄ちゃんが、帰らないって。連絡きた」

と言った。




その日は友達が心配して送ってくれた。

帰ったら荷物がなくなってた。

いつ?どうして?どうやって?











「息子さんから予約入りましたよ。

明日来られるそうですよ。」

アシスタントさんが声かけてくれた。

私は普通なフリして答えた。

「今日部活なんで明日なんです。」

「部活ですか?サッカー部?なんかサッカーぽい。」




後半はほとんど話が耳に入らなかった。

そうなんだ。 

ちゃんと来てるんだ。

よかった。

自分で予約して電車乗って来てるんだ。



あれから4ヶ月くらいかな。

髪も切らないとね。

大人になってるんだな。





長男が生まれた日、

彼の泣くパワーに圧倒された。

目の前で泣く我が子にどうしていいのか、全くわからない。初めての子供、抱っこすらどうしていいのかわからなかった。

抱っこしたとしても、泣き止むわけはなく、おっぱいをあげようにも生んだからといって出るわけでもない。

どうしよう。どうしよう。

自分が何をしたらいいのか、何ができるのかも全くわからなかった。

今まで生きてきて、自分がやってきたこと、得意なこと、仕事や趣味、自分なりのこだわり、ポリシー。


そんなの何もこの子には通じない。

意味ない。痛感した。


この子が求めてるのは「お母さん」なんだ。

私は 「私」 じゃなくて

「お母さん」 にならなきゃいけないんだ。


その日から、私は「私」を置いて、

「お母さん」になろうと努力した。






あれから17年経って、私は「お母さん」になっていた。




それは何の予兆もなく、宣言もなく、区切りというものや、サナギから蝶へ…なんてものもなく、あるいは、もしくは、私が気づかなかっただけなのか、もっとよく彼を見ておけばよかったのか、わからないのだけれど、

いつの間にか私の手からスッと離れていった。


あの子はもう、母親を求めていない。


母親として必要とされなくなった、なんて思ったら悲しすぎるし、自分があの子にかけたものが報われない気もする。


こういう時って、なんて言ったらいいのかわからない。



この一年で、いろんなものを失った。

多くのものが私の手から抜け落ちていった。

中には離れ、奪われたものもあるし、ほとんどの人が手にしているのものはもちろん、ある種の勲章、ステータス、その役割さえも失った。

それは命ですら例外ではなかった。

もう失うものはない、そう思ってもまだ失い続けた。失い、損なわれ、補われることはなかった。一時的に補われたとしても、それは次に奪われる為だった。

いつまで続くんだろう。



今はただ、

まだ残されたものをしっかりとこの手に。




×

非ログインユーザーとして返信する