S's case

日々の暮らし、夫との戦いの記録

読了『無人島のふたり』 ー父のことー


後ろから読んだ『無人島のふたり』。



読み終わった。



本来なら癌が見つかる→病気の進行→、

最期を迎える、となるが、反対読みをしたので、

当然、最期→具合が悪くなっていく

→癌が見つかるとなった。




それはまるで、中皮腫で亡くなった父の闘病を

思い出す作業のようだった。

記憶は、現在から少しずつ戻っていく

自然と私に合った読み方をしていた。




闘病生活はまるでドラマの様な日々だった。

癌の告知や余命宣告、緩和ケアでの入院生活は

何かのドラマか映画の様なシーンの連続で、

父も『ドラマみたいだな』と笑っていたことがあった。



父はステージ4、癌は肺全体に広がっていて

手術はできなかった。余命3ヶ月、長くて半年。

抗がん剤治療も苦しむ期間が長くなるだけだった。

それでも、少しでも、と探してきた母の思いに応える為、光線治療なるものを受け、余命は1年ほど延びた。



最後の春、最後の桜、最後の夏、

全てが最後になるであろうと皆が思っていた中、

「絶対治る❕」と母は最後まで信じ続けた。


それは、もう完全に末期で手足もどんどん浮腫み、皮膚がひび割れてリンパ液が流れ出始めた時(当然腹水もパンパンに溜まっていた)に、

「この水が抜けたら治る❕出始めた❕」と

母は喜んだ。



あまりの無知さに呆れるよりも、

治ると信じ込んでいる母の姿は狂気じみていたし、現実とのあまりの乖離に私たちも、

「これ治ってるの?」と混乱した。



最初の方は、あと3ヶ月なんて嘘だよね?と

普段と変わらない父の様子に全然現実味がなかったが、緩和病棟に入る頃にはもう、末期も末期という感じで受け止めざるをえなかった。



母は最後まで、現実を受け止めきれず、

今思えば完全におかしくなっていたんだと思う。

(でも、当時は母のいう一言一言を信じたりして

かなり振り回された。)




父の闘病にずっと付き添って、

山本さんの本を読んで、不謹慎なのは分かっているが、余命宣告されるのも悪くないと思っている。


この何年かずっと死にたいと思っていたが、

余命宣告されたわけでもなく、漠然としていて、

私にとって死はまだそこにはなかった。




緩和病院には色んな人が面会に来たし、

小さな会社だったが一応社長で、地域に根ざして活動していた父のところには、毎日何人もの方がお見舞いに訪れ、一般人なのに、1ヶ月で数百人にもなった。



そんなふうに父は、惜しまれながら私たちの世界から居なくなってしまった。





そんなことももう10年くらい前の話。




でもまだ色んなことをかなり鮮明に覚えている。



この後からが激動の10年間。



思い出したくないことも鮮明に覚えているから、

困ったものです。





こんな色んなことを思い出しながら読みました。




明日は母の白内障手術に付き添うので、待ち時間に今度は最初から読んでみようと思います。

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